悪魔は狙う心の透き間

 我々には、味方が多いわけではない。これは以前にも言ったことである。ただ味方が少ないだけなら特に困るということはない。「不便」というだけである。しかし、味方が少ないということは、当然「味方でない」人間も多くなる。その大半は、ずっと我々とは無関係に、味方でも敵でもない立場のまま一生を終えることだろう。だが中には、我々の敵に転じてしまうものもいる。それは彼ら自身にとって不幸な結果であるが、我々にとっても決して好ましい事態ではない。けれども現実にそういう人間がこの世に存在する以上、戦い続けなければならないのだ、世界の平和を実現するために。
 我々が戦う姿勢を見せるのと同様に、彼らもまた我々に対して戦う姿勢を見せる。しかし、それは必ずしも「正々堂々とした」戦いになるとは限らない。人の力というのは実はそれほど大きな差は存在しない。人類が遺伝子に束縛された生命であり続ける限り、個体差というものが大きくかけ離れることはあり得ないだろう。お互いに力の差がないのだから、戦いの決着は簡単にはつかない。しかし、長く戦い続けるのはつかれる。気力体力精神力、どれも有限のものだ。ここでどちらも同時に力尽きてしまえば一時休戦などの手法でその場をしのぐことができるが、世の中そうはうまくいかない。大抵は、どちらかが先に倒れてしまう。偶然の産物、運命のいたずら、様々な言い方があるだろう。しかしこれが現実なのだ。負けた後でどんなにいいわけをしても、所詮負けは負けでしかない。
 普通の人間は、負けることを嫌う。勝つために戦っている。だから自分の敗色が濃くなってくると、もう手段を選ばず勝ちを取りに行こうとする。いわゆる、姑息な手段卑劣な手段と呼ばれる類のものだ。要は勝てばよい。勝てば官軍、全てが許されるのだ。だから、世に卑劣な行為は消えない。世界はますます恐怖と混乱に満たされていく・・・。

 ずいぶん前置きが長くなってしまった。そろそろ本題に入ろう。
 一月ほど前から、我が大親友(自称アール氏)が「フシン」という言葉を口にするようになった。家を建てるという意味ではなく、信用できないという意味らしい。しかも、その信用できない相手が、こともあろうにこの私だというのだ。こう言っては何だが、私は「信用」という点でのみは、決して後ろ指を指されるようなまねはしていないつもりだ。こんなことを言うと「信用に関わらないことなら後ろ指を指されることをしているのか」と突っ込まれそうだが、それはまた別の話だ。とにかく、私が、この私が「不信」などという言葉を投げかけられるのは心外である。
 当初は、「きっと暑さのせいで神経耗弱状態になっているのだろう」と、軽く受け止めていた。ただ、あまり周りに私に対する不信感を言いふらされても困るので、「彼は今精神が参ってるんだよ」と、一応のフォローはしておいた。これは、「不信」という言葉そのものの効果をうち消すとともに、彼が自分で口にしている言葉の意味の重大さに気づかせる目的もあった。ところが、彼は目を覚まさないどころか、いっそう「不信」という言葉を口にするようになったのだ。いくら何でもおかしい、暑さのせいではない、と気づいた私は、最近の彼の行動をついて調査を開始した。その結果、こともあろうに彼が最近ubと親交を深めている、という情報を入手したのだった。
 ubというのは、単刀直入に言ってしまえば我々の敵である。しかも、ただの敵ではない。過去に我々に近づき、友好的・協力的姿勢を示し我々をさんざん利用しておきながら、我々の尊厳を踏みにじるような行為をした裏切り者なのである。そういう事情があるため、我々はubに対しては第一級の警戒態勢を敷いていたつもりだった。だが、私の個人的事情により、春から夏にかけてはほとんど動くことができなったのである。奴らはその隙をねらって、卑劣にも我が大親友を手に掛けようとしていたのだ!
 事態は深刻である。なにしろ、(自称アール氏)は、すでに「不信」という言葉を公に口にし始めている。ただ心の内に疑念を持つだけにとどまらない、完全に、確信的に不信感を持ってしまっているのだろう。これはすなわち、(自称アール氏)がすでにubによって洗脳されてしまったからに他ならない。なぜこんなことになってしまったのか、なぜこのようなことを許してしまったのか。私は大親友として、彼を救うことができなかったのか。彼が洗脳地獄に苦しんでいる間、私は何をしていたというのだろう。
 過去を悔いても仕方がない。人は未来に活路を求めるしかない生き物なのだ。道が閉ざされたわけではない。人はたとえ洗脳されても、人格の全てを失うわけではないのだ。取り戻せ、我が大親友を。我々の、新たなる戦いがここに始まるのだ。
 
 

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