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北派の抗争

 
 この物語は、20世紀末から21世紀初頭にかけてオタク最狂と呼ばれた集団「鍵っ子」の中でも、とりわけ際だった闘争ぶりを見せた集団である 北川派の存在とその行動について、北川派の一活動家として闘争を続けた私自身の史観から記録を残そうと試みたものである。
 
 
 
 記録の前に、まずは北川潤というキャラクターについて解説する。
 北川潤(きたがわ じゅん)とは、KEYのゲームソフト「Kanon」の登場人物の一人であり、性別は男。いわゆるギャルゲーの中によく出て くる「主人公の男友達」の位置に該当するキャラである。だが、彼の存在と扱いは、もはや従来の男脇役の範疇に収まるものではなくなってしまった。
 北川潤は主人公相沢祐一の同級生であり、祐一のすぐ後ろの席に座っている。
 Kanon作中、北川は祐一の転校初日に声をかけたもののなかなか名前を覚えてもらえなかったというエピソードがある。これを以て北川潤とい うキャラクターの存在感の無さの証拠として語られることがある。が、これは相沢祐一の個人的資質(相沢祐一は過去のトラウマもあって初対面の人の名前をな かなか覚えられない)によるものであり、北川の存在感の無さを表すものでは決して無い。
 この他にも、制服の裏地が毎日違う(と主張している)、食堂のメニューを全て把握している、交友関係が意外と広い、といった特徴を持ってい る。
 また、外見上の撥ねた髪は、これは北川潤を扱う二次創作において最大のネタにされている。この「立った髪」というのは原画家樋上いたるのキャ ラクターにおいてしばしばつけられる外見的特徴であり、後述する麻宮姉妹やCLANNADの岡崎朋也・古河渚にもつけられている。いわば「いたるキャラ」 としての正当性を表すものである。ただ、麻宮姉妹やCLANNADの二人は立った髪が長く二本に分かれている(いわゆる触覚型)のに対し、北川のそれは短 いものが一本だけ(アンテナ型)である。
 
 北川潤のKanon作中での最大の見せ場は、月宮あゆシナリオにおける人形探索イベントである。相沢祐一が昔埋めた人形を探した際に北川に協 力を求めるのであるが、その際祐一は北川に人形を探す理由を告げることをためらった。だが北川は、それに対して追求することなく夜遅くまで一緒に穴掘りを 続け、そして彼の手によって探していた人形は掘り当てられたのである。
 
 北川潤は、Kanon作中では「北川」という姓しか出てこない。「潤」という名は、Kanon発売後約半年ぐらい経ってから雑誌媒体等で公表 されたものであり、おそらくは後付けである。また、Key公式ページで恋愛には奥手であるという解説がなされているが、これも同様に後付けの設定であると 思われる。
 樋上いたるによると、北川潤は元々、Keyマスコットキャラの麻宮姫里・麻宮空の兄という設定でデザインされた。当初の扱いとしては、Key Official Homepage中のキャラクター紹介の欄にも名前はなく、食堂にいる麻宮姫里や教室にいる七瀬留美と同様のものであったと推察される。
 
 
 
 このように愛すべきキャラクターである北川潤を支持する一派が出現するのは、いわば歴史の必然であった。だが、彼ら北川潤を支持する一派(以 下、北川派)の歴史は、決して安易で平坦な道のりの元に形作られてきたわけではなかった。
 
 

北川解放闘争の始まり:

 彼らの苦難は、Kanonの歴史と照らし合わせても最も初期の頃、「北川潤」という名が知れ渡った1999年冬頃から既に顕在化し始めてい た。
 
 当時、一部のKanonのファンの中には主人公相沢祐一を絶対視する風潮があり、特にネット上の二次創作SSにおいて北川潤をぞんざいに扱 い、もしくはより酷い目に遭わせるという傾向があった。
 それ以前においても、(現在で言う)ギャルゲーの男キャラというのはファンからあまり良い扱いは受けてはいなかった。ギャルゲーとは恋愛ゲー ムであり、男キャラは主人公の恋敵である、という思想が背景にあったためである。北川に対する扱いというのも、そういった昔からの風習の延長線上にあった ものと言える。後に出てくる「主人公至上主義」「ハーレム」「U−1」といった言葉も、このような主人公絶対重視主義から生まれた発想によるものである。
 だが一方で、そういったライバルではなく純粋な主人公の親友として男キャラをとらえる傾向も既に出始めていた。Kanonと発売が同年であっ た「こみっくパーティ」の久品仏大志や、Kanonの事実上の前作である「ONE〜輝く季節へ」の住井護といったキャラはそういった需要に応えるものであ り、北川潤に対してもそのようなポジションを求める勢力もまた存在したのである。
 
 Kanon作中では北川潤は恋敵ではなく、かといって久品仏大志や住井護のように強烈な個性をもって主人公との友情のぶつかり合いを見せると いうわけでもなかった。いわばぬるま湯のような扱いであったわけだが、これが逆にファンの二次創作意欲をかき立てた。「男キャラ=恋敵」とする人々は北川 をめった打ちにすることでその欲求を満たし、逆に「男キャラ=親友」とする人々は恋愛ゲームにおける北川の地位向上につながる設定を模索した末、作中では 主人公相沢祐一と結ばれなかった美坂香里とのカップリングを描くことで、その目的を果たそうとした者が大勢いた。
 だが、カップリングの相手に美坂香里を選択したことが、また新たな火種を生んでしまった。数少ない「姉キャラ」でありまたKanon唯一とも 言える「ツンデレ」キャラである美坂香里には、発売後時間が経つにつれ続々とファンが集まり続けていた。彼らはKanon作中に「美坂香里エンド」が用意 されていないことに大いに不満を抱き、全年齢版Kanonやドリームキャスト版Kanonの発売が告知されるたびに、追加シナリオとしての「美坂香里シナ リオ」を要求し続けた。当然のことながら、彼らの想定するそのシナリオの内容は美坂香里が主人公相沢祐一と結ばれるものであった。
 そんな彼らにとって、北川と香里が結ばれる内容の二次創作は、目の上のたんこぶでしかなかった。自分たちが香里シナリオを追加するようオフィ シャルに働きかけるうえで、それは大変な障害になると考えたのである。故に彼らは、「北川×香里」というカップリングを敵視し、それを唱える勢力を敵視 し、そして次第に北川潤という存在そのものをも敵視するようになっていった。
 
 またこれとは別に、「北川は誰かと結ばれるべきであるがその相手は美坂香里ではない」と考えるものも、わずかではあるが存在した。彼らの考え る北川の相手は、水瀬名雪であったり水瀬秋子であったり天野美汐であったりと、人によって様々であった。彼らはそれに従い、思い思いのカップリングで二次 創作活動を行っていた。
 だが、北川派と香里派の抗争が顕在化するにつれ、北川派の中では「北川×香里」は絶対普遍の真理であるとして、これに逆らうことを許さない風 潮が芽生え始めていた。故に、これ以外のカップリングを唱えるものは次第に北川派の中で孤立化を余儀なくされてゆき、あるものは転向し、それ以外のものは 北川派主流から距離を置くようになっていった。
 
 

香里派との対立と北川排斥派同盟の成立:

 一方で、香里派は、美坂香里がサブヒロインであるというハンデを克服するが為に、主にネット上におけるSS二次創作活動を積極的かつ攻撃的に 展開し、また各種掲示板や当時隆盛であったCGIベースのキャラ人気投票所に於いてその啓蒙活動を広く行っていった。この主張の主たるものは、カップリン グとしての「祐一×香里」であり、原作中で主人公との恋愛関係に至れないサブヒロインを擁するファンの活動としては、ごくごく自然のものであった。
 この活動は、シナリオを持たないサブヒロインに対する擁護・広報運動としては、かなり規模の大きなものであった。
 それ以前にも、例えばKanonの事実上の前作である「ONE〜輝く季節へ」の脇役、柚木詩子に対して、その明るく人なつっこい性格から、数 多くのファンがついたことがあった。このファン層はKanon・AIR発売後もその勢力を失うことはなかったのだが、しかし規模としては非常に小さく、本 格的にファンサイトまたその連合を開設したり柚木詩子一本に絞った二次創作活動を積極的に展開したりといったことまでには至らなかった。それは言うなれ ば、「柚木詩子のような市場規模の小さなヒロインでファン活動、例えば旧来のファン活動の中心であった同人誌の作成を行っても、たいした反響は得られな い」というあきらめからくるものもあったであろう。
 だが香里派は、この常識を打ち破った。彼らは実に積極的に、且つ果敢に攻めていった。ただしそれは、旧的な枠組みである同人、イベントといっ た、リソースもマンパワーも必要とするものを使ってではなかった。前述のように、ネット上におけるSS(特定の原作と、世界観・キャラクター設定等を同一 とする、二次創作文章であり、主に「ネット上で配布・ブラウザ上で閲覧」することを前提に文章構成が組まれている)で「祐一×香里もの」を大量に生産し、 その中で美坂香里を大変に魅力的な女性として描き出すことで、香里派の取り込みを図っていった。また、人気投票所で美坂香里を少しでも上位につけるべく、 投票班を組織し、情報交換と戦略会議を重ねながら、その知名度と関心の向上に勤めていったのである。
 
 だが、出る杭は打たれるという言葉があるように、このような活動そのものを快く思わない人々は当然ながら存在した。彼らからは、一連の活動は 「香里派の工作」などという揶揄をもって、忌避と嫌悪の態度を取られるようにもなった。
 だがこれは、Kanonの当時のファンであれば大概は持っていたであろう「自分の好きな(女)キャラ」以外の女性が主人公祐一とカップルにな る、ということに対する嫌悪感も含まれていた、という部分もあったことは書き添えておかねばなるまい。特に、「水瀬名雪こそがKanon唯一にして絶対の ヒロインである」と信奉する一派(*注:Kanonの正規ヒロインは月宮あゆなので あるが、パッケージの扱い等々から水瀬名雪もこれに準ずるのではないかという説が出され、この説を足がかりに一部の名雪派が先鋭化してこのような主張をす るようになったからは、香里派の積極的な活動に特に 大きな警戒心を示し、一部では排除の動きを見せるようになっていった。このとき排除の理屈として用いられたのが、初期の北川派主流の主張である「香里と くっつくのは北川」という論理であった。ただ、純粋な北川派と若干違っていたのは、「サブヒロインである美坂香里は男脇役である北川潤とくっつくのが自然 であり、主人公相沢祐一をねらうなど烏滸がましい」というのが、彼らの基本理論となっていたことであった。
 
 このようなこともあって、Kanonの二次創作SS界では、一時「北川×香里はデフォである」という主張が平然と叫ばれるようになった。この 主張には少なくとも原作・公式上の根拠はなんらも持たなかったにもかかわらず、あまりの声の大きさに原作未プレイのファン(Kanonのあまりの人気ぶりに、噂と二次創作だけでファンになる人が当時後を絶たなかった) の中には「北川×香里」が原作に記された公式の設定だと勘違いする者まで現れる始末であった。
 そして何より深刻だったのは、この主張を元に「北川×香里」でない二次創作に対して、徐々に圧力がかけられるようになったことである。カップ リングの例としてはいくらでもあるが、「祐一×香里」「北川×名雪」「北川×佐祐理」と言った非「北川×香里」カップリングは、全てその排除運動の対象で あった。排除を意図するものの主張というのは、「そんなものを書いても、売れない」「多数派に逆らうな」「カップリングが標準でない、間違っている」とい う、数の力にものを言わせた暴力的な要求を基本としたものであった。
 
 このような背景の中、2000年春頃に香里派(祐一×香里派)の一部急進派によって「北川排斥派同盟(当初は北川排斥委員会)」が結成され た。この集団は名が表すとおり、祐一×香里というカップリングの障害である北川潤を排斥する、という思想を持った人間の集まりであった。「北川排除」とい うその過激な主張から、彼らは当初Kanonファンの大多数から嫌悪され、黙殺されていた。
 ところが、ここに北川派主流から追い出された反主流北川擁護派が入り込んだことで、状況は一変した。彼らは本来北川の存在自体を否定する同盟 とは水と油の関係であったはずが、当時あまりにも力を持ちすぎていた「北川×香里」のカップリングに対する反感、そしてなにより彼ら自身の孤立感が、野合 とも言える同盟への加入に走らせたのである。
 犬猿の仲であるはずの両者が手を結んだインパクトは大きかった。まずその主張が無視されることが無くなり、既に蔓延し始めていた「北川×香里 はデフォである」という北川派主流の主張、その普及に歯止めがかけられた。そして、反主流北川擁護派の「我々はどんなカップリングを書こうが、本来自由で あるはずである」という主張が、それまでの同盟の過激な主張を和らげる効果をもたらし、彼らに対するKanonファンからの一定の理解を得ることに成功し た。
 
 

闘争方針の失敗とAIR発売の影響:

 同盟が力をつけたことに危機感を抱いた北川派主流は、当初は「北×香はデフォ」という当時の主流主張を完全にデファクトスタンダード化するべ く、奔走した。だが、公式設定では決してないという弱点を克服することが出来ず、また表現の自由を根拠にした「書く自由」に対する有効な反論を全く見いだ せなかった。この主張はどちらかというと二次創作者(執筆者)の側に訴えかける主張であったのだが、どちらかというとむしろ書き手よりも、読み手である一 般ユーザーの側に「価値観の押しつけに対する懸念」という意識を呼び起こさせる結果となっており、これも彼ら北川派主流にとっては誤算であった。
 
 そこで北川派主流は、支持基盤であるユーザー読者層の強化を図るべく、それまで「脇役である北川の敵」として敵視していた「主人公至上主義 者」(ハーレム派、U−1派)との対決路線を改め、「美坂香里は北川潤に、それ以外のヒロインは相沢祐一に」というヒロイン分割棲み分け条約を締結した。 これは、ハーレム派が美坂香里を対象に出来ないという点を除けば、両者の利害関係に殆ど影響を及ぼさない内容であると同時に、同盟の主張する「祐一×香 里」というカップリングを根底から否定する内容となり、この複合組み合わせでKanon界における主流派を取れれば、同盟に対する決定的な打撃を与えられるはずであった。
 ここに排斥派同盟と北香・U−1連合とは、修復しがたい泥沼の抗争に向かっていくかに見えた。
 
 
 だが。この両派の抗争はあっけなく終焉を迎えてしまうことになる。要因は2つあった。まず一つは、排斥派同盟発足当初から抱えていた問題、即ち「彼 らの主張があまりにも過激すぎる」というものであった。
 
 前述のように同盟は、発足当初からの急進的北川排除派と、穏健派の親北川・反香里×北川の2つの勢力が存在していたのだが、このうち急進派の あまりにも目をむく言動が同盟外部に晒されてしまうという事件が起こり、それによって同盟への猛烈なバッシングが起こったことであった。一例として、「北 川×香里」として書かれたSSを自らの手でファイル操作を行い、「北川」を全部「祐一」に変えて読む、というものがあったが、この行為はマナー違反と言う だけでなくそもそも著作権に照らしても重大な違反行為の疑いが持たれるものであり、著作権に拠を置いた「書く自由」を掲げていた穏健派からも、到底容認せ ざる行為であった。(そもそも、この行為の外部へのリーク自体が、穏健派によって行われたものであるという説もある。)
 このような急進派の行為について行けなくなった穏健派は、次々と同盟を離脱し、あるものは穏健派としての再建団体を結成し、あるものは穏健派 美坂香里コミュニティの門をくぐった。そして、あるものはどこにも所属せず個人での活動を続ける道を選んだ。
 
 そして終焉のもう一つの理由は、AIRの発売である。この、後に初回10万本という当時としては記録的な数字を打ち立てた作品は、その発売前からKey ファンの心をつかみ、震わせ、熱くさせていた。AIRは当初、2000年の7月に発売予定であった(ソフ倫への審査請求が6月後半に行われている)のだ が、それが発売一週間前になって突如9月への発売延期が発表されるという事態があったのだが、これの理由として「あまりにも加熱しすぎるAIRへの期待 を、少しでも沈静化するため」に為された処置であったとも伝えられている。(11.23デジフェス騒擾事件で得たKey側の混乱対策ノウハウの一環と考え られる)
 ともあれ、ここまで人気沸騰の次回作を前にして、旧作となってしまったKanonの人気とその関連する活動が一時的にしぼんでしまうのは、や むを得ないことであった。当然のことながら、北川問題も自然休戦の状態となり、「北川×香里」に関する議論や、二次創作SSの発表もあまり行われなくなっ てしまった。
 
 
 ところが。数ヶ月後には、Key系のファンサイトや提供される二次創作は、再びKanonのものが主流を占めるように、回帰していったのであ る。無論、AIRのファンが減ったわけではなくむしろその後も増え続けたのであるが、AIRが多少解釈が難しい作品で、故に二次創作よりも評論に力が注がれて しまったこと、そしてとある特定の勢力による猛烈なAIRバッシングキャンペーンが展開されて一部の階層の人にAIRは読みにくい駄作とのイメージが植え付けられた結果、相対的にKanonの地位が再浮上してきたのである。(尚、この特定勢力とは、北川派とは関係ない事は明記しておく。今回のこの文献の趣旨と も違うので、「彼ら」に対する解説は別の文献に譲ることとする。)
 そして、二次創作におけるKanonの地位が復権したことで、ネット二次創作を主舞台にしてきた北川派諸派の活動も、再び活発化し始めた。
 
 2002年初頭には、東映アニメーションによってKanonのアニメ化がなされ、Kanon界全体が一時的に盛り上がるも、そのシナリオ展開 の強引さやキャラクターデザインへの不満から、すぐに非難の声に転化してしまった。
 北川派の間では、北×香派からは北川と香里ができているかのような描写があったことから高い評価を受けるも、逆に反北×香派からはそれ故に反 発を受ける結果となり、また北川のキャラが原作と全然違うという指摘もなされ、総じて見ればKanon界の多数と同様、東映版Kanonへの評価は決して 良いものとは言えなかった。
 
 

かのんSSLINKSと第一回こんぺ:

 ところで。その当時、Keyのネット二次創作において主流を占めていたのは、「SS」と呼ばれる小説/ライトノベル風の文章作品であった。
 漫画やイラストといった画像系の創作物ももちろんネット上での公開はされていたが、そういったものを手がける人の多くは、活動の主力をネット よりも同人誌活動に置いていることが多く、またネット上でデビューした人であっても、長い時間を置かずに同人誌の世界にシフトしていくことが多かった。一 方SS書きの方は、元々ライトユーザーとして入ってきていて同人誌というものの存在自体よくわからない、もしくは「即売会では文章系は売れない」という現 実的問題から、ネット上での作品公開に主眼を置かざるを得なかったのである。
 この両者には、若干の好みや制作方針の傾向の違いがあり、例えば漫画を手がける人は、作品の中でも確実に知名度と人気がある(と思われる)メ インヒロイン、特にKanonであれば公式のメインヒロインである月宮あゆを積極的に採用する傾向があった。が、ネットSS書きは、大衆の知名度よりも自 分自身の好みを優先する傾向が強く、故にサブヒロインや、同人誌では決して取り上げられないような男性キャラもすら、積極的に主役級に押し出して作品とし て発表していった。この作品傾向の違いは、後に、キャラ人気に関する論争・対立における主張の食い違いを生み出す要因ともなっていった。
 
 さて。このネットSSにおいて、当時最大のポータルサイトとなっていたのが、「かのんSSLINKS」というサイトである。SS書きが自己登 録する形でKanon二次創作SSのデータベースサイトが構築されていたのだが、一部更新の自動巡回チェックを実施していたことで多忙なSS書きの支持を 得、KanonSSのポータルサイトとして最大級の地位を得るまでに至った。
 
 利用者の間では、この「かのんSSLINKS」におけるSS掲載数をキャラ人気の指標としてみなすものもいた。事実、LINKS初期の頃の SS掲載数順序は
であり、各種雑誌の調査結果ともほぼ符合していたから、この認識はあながち誤りではなかったといえよう。ちなみに、当初はサブキャラは全て「そ の他」扱いであり、北川も当然その他に含まれていた。
 前述のように、SS書きの中にはサブキャラを主に書く人間も数多くおり、そういった人々は「その他」ジャンルの中に「秋子」「美汐」といった付 随情報をつけて、情報登録を行っていた。しかし、次第にこれらサブヒロインSSの数が増えるにつれ、書き手・読み手の双方からサブヒロイン独自のジャンル 創設を求める声が高まり、2001年にメイン6人(倉田佐祐理はエンディングが存在した関係上から、当初からメイン扱いされていた)に加え、サブヒロイン 3人(水瀬秋子、美坂香里、天野美汐)がジャンルとして追加され、同時にその登録SS数も公表された。その当時の順位は、こうであった。
 この結果も、当時の雑誌や各種人気投票サイトでの結果とそんなに食い違うものではなく、引き続き「LINKSの掲載数はキャラ人気の指標とな る」という認識は続いた。ただ、この時点でサブヒロインである美坂香里が既にメインヒロインである沢渡真琴を追い抜いているという事実は、少なからぬ衝撃 を持って受け止められた。
 そして、北川を初めとする男性キャラは、相変わらず「その他」扱いのままであった。北川派は当然不満を持ち抗議を行ったが、結局、独立ジャン ルとして北川を初めとする男性キャラを設定することは時期尚早であるとの判断が主流となり、北川派の抗議は大きな騒ぎになることもなく収束した。北川派 は、とにかく淡々と北川SSの数を増やすことで、次回の改装での独立ジャンル昇格に望みをつないだのである。
 
 2002年5月、「かのんSSLINKS」において、「かのんSSこんぺ」という、Kanonの二次創作SSを競うイベントが企画された。後 に第二回、第三回も開催されたことから、第一回コンペとも称されるようにもなったイベントである。
 当時、KanonSS作品の人気は、作品一つ一つの質よりもむしろ作者個人の人気に左右されることが多く、故に無名・新人のSS書きの作品が その評価において不当に冷遇される傾向があった。このコンペは、参加自由・全読者採点・採点時作者匿名、という特徴を持たせ、百花繚乱のKanonSS界 において、うわべの人気にとらわれず真に実力を持ったSS書きを評価しようという試みの元に行われたものであった。171名のSS書きが作者として参加 し、200名あまりの読者が採点者として参加した。短編長編ジャンル対象キャラ問わず全作品一緒くたに採点・順列化したためその手法に対し大きな論争がわ き起こったものの、しかしそういった論争が起こること自体がそのコンペ自体の成功を裏付けるものであった。
 だが。ここで、一つの問題が起こった。このコンペでは作者の希望に応じて結果発表後に出品作品毎の掲示板が設置されていたのだが、そのコメン トにおいて、その作品が前提とする条件そのものに対する非難、もしくは中傷とも言える書き込みが散見されたのである。そしてその中傷の殆どは、「カップリ ングが祐一×香里のもの」「北川が大活躍する内容のもの」に集中していた。
 これを契機に、沈静化していた香里派(祐香派)と北香派の抗争は、再燃することになる。激しい言葉の応酬が展開された。その内容には、「同人 誌即売会で北×香の内容の本を売っていたらデブオタ3人に立て続けにブースに体当たりされた」「祐×香のSSを連載していたらウイルスメールを立て続けに 送られた」といった、明らかな被害妄想から来る捏造をまで含んでいた。その激しさは、一般参加者の目をむくほどのものであり、かのんSSLINKSの公式 掲示板において「あの荒れ様は一体何なのか」といった声が出るほどであった。
 
 だが。この事件をきっかけに、それまで両派以外の人間には認知されてこなかった、カップリングの好みの違い、それによる派閥の形成と両者の対 立、そして北川潤という男のサブキャラを支持する勢力の存在、といった事実が、公のものとなるようになった。この一連の事象は香里問題、もしくは北川問題 と呼称されるようになり、いかなるスタンスであれKanonのSSを書く際には留意しておくべき事柄として、認知されるようになった。
 その一方で、過激な行動を取った両派に対する非難の声も強く、両派は以後、LINKS内部においては互いの立場を尊重し攻撃的言動を慎むとい う声明を出さざるを得なかった。それでも、過去のしがらみから、場外における北×香派とそれ以外のカップリングを支持する勢力との小競り合いは簡単に消え ることはなかった。が、ただ争うだけでは不毛であるとの認識は両勢力ともに次第に定着していった。一方で、北川派の間では「そもそも自分たちの愛する北川潤とは何者か」 という考察を真剣に行うことが広まっていった。生み出されるSSも、単なる「北川と誰かをくっつけて終わり」という単純な恋愛図式のものから、北川潤とい う少年の人間性を追求する内容のものが増えてゆき、結果としては作品としての北川SSの質と幅の向上に大きく貢献する結果を生み出していった。
 
 

9.01危機:

 そんな中、2002年9月、美坂香里派にとって待望の美坂香里オンリーイベントである、「香里フェスティバル」が東京都内で開催された。それ までネット活動中心だった香里派にとって、同人界にその活動の場を広げる晴れの舞台であり、「初めて同人誌を作った」と語るメンバーも存在した。始発の飛 行機で福岡からはせ参じる人間も出るなど、香里派にとって大きな期待を寄せられるイベントであった。
 しかし、彼らの期待は、そのパンフレットを手にしたときに一挙に落胆へと変わった。パンフレットの裏表紙に書かれたイラスト、それがあからさ まに、「北×香」を描写する内容であったからである。誰にも邪魔されない、自分たちのためのイベントであるべきこの場で、自分たちが最も嫌がる仕打ちを受 けた。誰も口にこそ出さないものの、静かなる怒りが広い会議室の半分を埋める会場内を支配していた。
 会場内に設けられた参加者の声を寄せるボードは、香里派からの怒りの声で埋め尽くされた。一方で、北×香派のサークルも一部このイベントに参 加しており、彼らからの反論とも誹謗ともつかない書き込みもまた存在した。ただ、それを書き込んだのが誰であるか、顔を見て判別できるわけではなかった。 故に実力行使を伴う争いは辛うじて回避された。だが、一歩間違えば暴力沙汰になりかねないほどの緊張が、そこには存在していた。
 
 香里フェスティバルの公式ホームページには、運営自らが争いの種を蒔くとは何事か、香里オンリーイベントの運営が美坂香里に関するこの問題を 認知していないということ自体がおかしい、といった、運営を批判する書き込みが殺到した。イベントの成功を賞賛する書き込みは殆ど見られず、掲示板は二週 間と経たずに閉鎖された。
 
 

第2回こんぺと闘争の転換:

 両派の禍根を残したまま、2002年10月にかのんSSLINKS主催による第2回かのんSSこんぺの開催が告知された。前回の教訓を生か し、短編部門と中編部門に採点系を分けて評価することとなったこのこんぺには、短編141作品、中編78作品が寄せられた。
 香里派(祐香派)と北香派の対立は残ってはいたものの、しかし両派とも勝負は非難合戦ではなくSSの質でという姿勢で臨んだ結果、数多くの良 質なSSがぶつかり合う結果となった。また、北×名のような北×香以外のカップリングを用いたSSも見られるようになった。それまでのヤクザの抗争まがい の泥仕合から、ルールに則ったより高次な混戦、という図式に転化したと言えよう。
 感情的なわだかまりから、両派の互いに対する嫌悪感がぬぐわれることはなかなか難しかったが、しかし理不尽な中傷に対してはむしろ自派から諫 める声が出るようになるなど、全体としての行動の穏健化が一挙に進むきっかけになった。
 
 
 北川派の行動が穏健化したことにより、Kanon界全体で北川派の存在を容認する雰囲気が広がり始めた。同時に、北川潤というキャラクターを 再評価する動きも強まり、一方的な虐待表現やかませ犬的な扱いは控える、という風潮が定着し始めた。
 
 ところが。これに反発する勢力が存在した。ハーレム派、もしくは祐一至上主義者とも呼ばれる勢力である。彼らは、その過剰なまでの祐一礼賛ぶりから、祐一の名をもじって「U−1」と揶揄されていた。
 彼らのスタンスは、主人公である相沢祐一を絶対的恋愛勝者として描き出すことであり、祐一による女性キャラの独占が絶対善であり、それ以外 の男キャラは徹底的な恋愛敗者として描き出す、もしくは最初から存在しなかったことにする、という歪んだものであった。彼らは、「ギャルゲーに男脇役が存 在する理由がわからない」とまで言ってのけるほどの過激思想の持ち主であり、故に、その男脇役である北川潤に対して次第に激しい憎悪を抱くようになってい た。
 
 彼らは、そもそもはKanonの二次創作が勃興し始めた当初から存在していた勢力である(もっと正確に言えば、Kanonが発売される以前よ り存在している、古典的なギャルゲーファンの一派の流れをくんでいる)。だが、当初はさほど目立つ勢力として認知されてはいなかった。Kanon界全体と して北川の扱いが低かったこと、また「闘争方針の失敗とAIR発売の影響」の項で述べたように、一時期は北×香派と手を組んだほどであり、彼らもあまり過 激な表現や行動は取っていなかったことが理由として考えられる。
 だが、前述のような北川再評価の動きが出るにつれ、それを快く思わないU−1派は先鋭化し、北川虐待SSの投稿や各種掲示板での男脇役不要論 の展開といったキャンペーンを積極的に繰り広げ始めたのである。
 
 このようなU−1派の行動は、無論北川派の行動方針にも影響を与えた。U−1派の活発化と北川攻撃をきっかけとして、「単なるカップリングの 好みの違いから来る争い」にすぎなかった北川派の闘争は、変節点を迎えることになる。誰とくっつくかというそういう次元の問題ではなく、それ以前に「北川潤」というキャラクターそのものをさしたる理由もなく丸ごと否定しようとしている勢力が存在すること。この事実は、彼らにとって真の敵が誰であるか思い知らされるには十分す ぎるものであった。北×香や北×名といった、いわば北川派同士の内紛はとりあえず脇に置き、北川潤というキャラクターを全力で守り抜くことが先決である。 そういった共通認識が芽生え始めた。
 北×香派の間には、長年不倶戴天の敵と認識してきた香里派との抗争を簡単にはやめられない者も多く、中には「香里派こそがU−1である」とい う理論を持ち出して、香里派との抗争を継続しようとする者もいた。だが、このような暴論が多数に受け入れられるはずもなく、また多数派からの説得もあり、 次第に「香里派との対立は棚上げする」という合意が定着していった。
 
 

北川の安定化とKanonの過去化:

 2003年10月に行われた第3回かのんSSこんぺでは、Kanonという作品の原点に立ち返った上で北川潤の人間性をより深く掘り下げる試 みが、多く為された。北川潤というキャラクターを守るにあたり、彼の何を守るのか、そもそも自分たちは彼の何が好きなのか。そんな問いかけに答えるべく模 索を続けた結果であると言えよう。
 そのような努力の甲斐あってか、北川派とU−1派の争いにおいて、Kanon界全体の世論としては北川派に有利な方向に傾いていった。U−1 派は徐々に支持を減らしてゆき、むしろからかいの対象にすらされるようになり、Kanon界における居場所を失っていった。U−1派の多くは、亡命するよ うな形で当時勃興しつつあったタイプムーンの月姫の二次創作に逃げ込んでいった。(※後に、月厨と呼ばれる過激なタイプムーン支持者が、激しくKeyファンを攻撃するようになった背景には、このU−1派の亡命勢力が絡んでいるとも考えられる。
 
 こんぺに限らず、一般公開作品としてかのんSSLINKSに登録される北川SSの数も、順調に増加していた。これを受けて、第3回こんぺの 後、かのんSSLINKSにおいて北川派の宿願である「北川潤独立ジャンル化」が行われた。また同時期、北川派の総結集を謳った北川掲示板も設置されてお り、穏健なファン勢力としての北川派の再構築が、この時期ようやく着手されたと言えよう。
 尚、この頃のかのんSSLINKSにおける登録数の順位は、おおむね以下のようであった。
 ジャンル創設時点で、北川のSS登録数が攻略対象ヒロインの一角である沢渡真琴のそれを上回っており、ここに北川派の努力の痕跡をかいま見る ことが出来る。だが一方で注目すべきは、トップに美坂香里が来ているという事実であり、これもまた香里派の努力の成果ではあるのだが、一方であゆ・名雪・ 栞といったかつての主力ヒロインの支持勢力が弱体化していることも原因として存在したわけであり、それを考慮すると北川の上位食い込みも、そういった Kanon全体の支持落ち込みも要因の一つであったとも言える。
 
 上述のように、そもそもの一次作品であるKanonの人気衰退が、著しいものとなっていた。発売から既に5年が経過しており、作品としての鮮 度が失われていたことに加え、同年の12月には4年間保留扱いとなったままであったKey第3作品「CLANNAD」が遂に発売日決定となり、Kanon は過去のものであるという認識が一気に進んだことが上げられる。
 
 
 そのCLANNADであるが、奇しくも北川潤の誕生月と同じ、2004年4月に発売された。CLANNADに出てくる男脇役「春原陽平」はそ の発表当初からデザインの酷似故に北川潤との共通性が指摘されており、一部北川ファンからも期待を込めて待ち望まれていたキャラであった。
 そしていざ発売されてみるとそれは、「Kanonの原作通りの北川」ではなく、むしろ「二次創作において虐待の対象となっていた、改変された 北川」に近いものであった。このことが再び、北川派に論争を呼んだ。即ち、「春原陽平は北川潤の互換キャラであるか否か」という問題である。「男脇役であ り主人公の親友でありデザイン的に共通性のある春原は、当然に北川を意識したキャラである」と主張するものもいたが、一方で「原作に照らし合わせれば性格 も人格的にも全く異なるキャラである」として、互換性を認めないものも多かった。特に、CLANNAD作中での春原の扱いがかつて北川が受けていた苦難の 歴史とかぶるとして、むしろこれはKey公式による北川いじめだと露骨に拒絶感を示す者すらいた。
 結局、このような拒絶感を示す者がいる以上北川と春原を一体的に扱うことには無理があるという結論に達する一方で、北川よりも春原の方にむし ろ好感や共感を覚えるという者も後を絶たず、結局協議離婚のように北川派から分裂して春原派が発足し、以降両者は別々の道を歩むこととなった。
 
 
 穏健化・Kanonの過去作品化・春原派の離脱といったことが相次いで、北川派は目に見えて弱体化が著しくなっていった。敢えてかつての内紛 を再発させることで活性化を図ろうという試みもなされたが、しかしあの骨肉の争いはもう勘弁して欲しいという空気の方が強く、結局、勢力としての弱体化を 甘受するしか残された道はなかった。
 
 尚、余談であるが、CLANNAD発売後の2004年6月、かのんSSLINKSも、Key公式を上回る延べ2700万アクセスという偉業を 残して事実上閉鎖している。
 
 

京アニ闘争:

 すっかり弱体化し、細々と辛うじてファン同士の交流のみを続けていた北川派であったが、2006年の京都アニメーションによるKanon再ア ニメ化によって、再び活性化が始まった。
 そもそも、「闘争方針の失敗とAIR発売の影響」の項で述べたとおり、Kanonは一度東映アニメーションの手によってTVアニメ化されてい るのであるが、ファンの間からは著しく不評であった。そこで、TBSが(地上波ではなく)衛星放送における放映権を獲得し、AIRのTVアニメ化を手がけ て好評であった京都アニメーションの制作により、再アニメ化が為されることになったのである。
 
 このアニメ化に、北川派も大いに期待した。東映版における北川の扱いは、一部北×香派からは好評だったとはいえ、全体から見れば「軽すぎる」 「全然奥手じゃない」と決して良いと言えるものではなかった。その為、AIRで原作重視の評価が固まっていた京都アニメーションに、大いに期待が持たれた のである。
 ところが、この北川派の期待は、またしても裏切られた。放映直前に発表されたキャラクター紹介で「香里に猛アタック」という説明がされ、さら に雑誌インタビューでの監督の「北川だけは原作通りではない」という発言がされたことで、北川派の怒りに火がついてしまった。北香派、北名派、他を問わ ず、「奥手という設定はどこへ行った」と凄まじい批判が沸き起こり、「京アニ最低」の大合唱となってしまった。さらに、年末の放送で「北川が踊って欲しく て女生徒に土下座する」というシーンが放映され、北川派の怒りは頂点に達した。
 
 だが、皮肉な話であるが、この京アニによる北川改変によって、北川派はその成立以来初めて、派閥の枠を越えて一致団結した見解と行動を取るこ とが出来たのである。
 
 この、北川派有史以来の統一抗議行動に京アニも路線変更を余儀なくされ、年が明けた2007年1月以降、北川の改変設定や侮辱的な表現は放送 されなくなった。
 とても小さな、人によっては空しいとしか感じない勝利であろう。だがこれは、北川潤という一つのアイデンティティーを守り抜いた、次に繋がる 貴重な勝利である、といって過言ではない。
 
 
 
 

総括:

 京都アニメーション版Kanonの放映が終了した2007年7月現在、北川派の活動は再び鎮静化に向かっている。とは言え、決してその組織が 弱体化したわけではない。私自身は入っていないのでよくわからないのだが、SNSのmixiでは北川コミュニティが今だに活発な交流を続けているようだ。
 そもそも北川派の活動というのは、北川潤というしがない脇役キャラをもり立てることに尽きるのであり、閉じた世界でファン同士盛り上がるこ と、それ自体決して悪いことではない。むしろ、正常なファン活動であると言えるだろう。
 
 だが。私は、北川派の行動実績、そして北川潤というキャラクターが後世に与えた影響について、もっとより大きな評価を下したいと思っている。
 先に述べたように、北川潤以前にもキャラの立った男脇役という者は存在していた。そういう意味では、北川もその系譜に沿った1キャラに過ぎ ず、むしろ彼らに比べれば個性の薄いキャラである事を考えれば、キャラクター史上取るに足らない存在であるのかもしれない。だが、北川潤がそれまでの男 キャラと大きく違った点があるとすれば、それは北川派の存在なのである。本来女の子キャラに萌え萌えするのが目的のギャルゲーにおいて、男の脇役を熱烈に 支援する勢力が出現した、しかも決して少なからぬ数で。これは、大きな歴史の転換点であったと私は見ている。
 「男脇役であっても、作りようによっては一定の支持を得ることが出来る」ということが証明されたのだ。このことが、後のギャルゲーの作り方に大きな影響を与えたことは、間違いないだろう。例えば本文で述べたCLANNADの春原陽平はその典型例であるが、他にもサーカスのD.C.シリーズに 出てくる杉並などはまさにこの系譜のキャラクターそのものである。杉並は、単なる話の潤滑油などではなく、明らかに一定の支持を得ることを狙って作られたキャラクターであり、これは北川潤と北川派の存在無くしては、生まれ得なかったキャラクターであると言えよう。さらに、うぃんどみるのはぴねす!では、キャラの方向性こそ違うものの、渡良瀬準という「男」キャラがヒロインを凌ぐほどの人気を得ており、北川派以来醸成され続けてきた男キャラ支援の歴史がしっかりと根付いていることの証左と言えるであろう。
 
 北川派は、その歴史において多くの間違いも犯した。だが、その目指したもの自体は、決して間違ってなどいなかった。私は、そう結論づけたいと 思う。そして、その結論を声を大にして叫んだ後に、この文書を保存し公開したいと思う。
 
 
 
2007年7月16日執筆
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