荒野草途伸ルート >> 荒野草途伸独自小説 >>職業:義理姉;>>2話
2.
 気がつくと夜になっていた。僕は自室で眠り込んでしまっていた。時計の指す時刻は21時前。あれからすぐ自宅に帰って、それから6時間近くも眠り込んでいたのだ。
 ショックだったんだろうな、僕は。そんな風な他人行儀な思考が頭を巡る。失恋したときの状態と少し似ている。そんな風に思った。他人に拒絶されたという意味では、確かに同じなのだろう。目的こそ違え。
 そう、まるで恋愛の告白みたいな形になってしまったが、自分の目的はそういう事ではないのだ。自分が欲しいのはあくまで姉。姉弟の上位に位置する存在。打算とか性愛とかそういうの抜きで、無条件に自分と対等に向き合い、しかし最後には上から暖かく抱きとめてくれる存在。そんな人が欲しかっただけなのだ。
 とは言え。自分のやろうとしていたことは、「無条件」ではないのだ。言い方は悪いが、お金でそういう存在を買おうとした。あの場で金額の話は結局出なかった、というか話がそこまで進まなかったのだが、それでも僕の中には「お金で『姉』を買いに来た客」という意識があったことは否めない。もしかしたら、そういう薄汚い感情を彼女、下田征子には見透かされていたのだろうか。
 一昨日受け取った彼女の名刺を手に取り眺めながら、そんな考えを巡らしていく。実際はそこまで深い話じゃないのかもしれない。単に、彼女にとって余りにばかばかしい話なだけだ、という可能性もある。いや、むしろそっちの可能性の方が高いだろう。
 もう少し計画的に細部を詰めていれば、こんな事にはならなかっただろうか。僕は自分の不手際ぶりを呪った。そもそも順序が逆だったのではないか。彼女に、自分の姉になってもいいというくらい仲良くなってもらって、それからああいう話を持ちかけるのが筋ではなかったのか。
 
 ふらふらと立ち上がる。そういえば今日は、まだ何も食べていない。昨日は残業で帰りが遅かったこともあって、今日起きたのはお昼、下田事務所に行く時間直前だった。
 冷蔵庫と食料棚の中を確認する。「お金のかからないこと」を趣味としている自分は、食事も原則として自炊をするようにしている。材料になるものは幾分かあった。が、今は作る気力が全くなかった。
 困ったな、と時計を見る。とりあえず食べないのは良くない、とわかっている。別に外に食べに行く金がないわけではないが、この時間帯に開いている店で、自分が納得できる店というのはあまりない。高いくせに栄養はない、異論を唱える人もいるだろうが僕にとってはそういう店ばかりだ。
 かといって、自分で作る気力はやはりない。ここは妥協して、外に食べに行くしかないだろう。変な恣意が入って結局店選びが出来なくならないように、歩いて一番最初に見つけた店に入ろう。そう決めて、財布を手にして外に出た。
 
 一番最初に見つけた店は、牛丼屋だった。そういえば最近出来たんだっけなあと、半月ほど前のことを思い出す。あまり興味がなかったので、すっかり忘れていた。
 とりあえず、何であれここが一番最初に見つけた店だ。ここで腹を満たすしかない。そう思い、店の中に入っていった。店内には客が二人いるだけだった。カウンター席に座り、メニューを眺める。普段あまり外食しないから、いまいち居心地が悪い。牛丼屋に入ってはいるが、ここは敢えて豚を注文するのも一つの手だ。煮込んだ豚の旨さは、時として牛のそれを遙かに凌駕する。特に、豚バラ肉をざっくりと切り込んで長ネギと煮込んだ料理は、僕の得意技だ。だしは昆布、長ネギは青身の多い物を使う。それが色が変わるくらいにまで煮込む頃には、豚肉はすばらしく柔らかくてほどよく味が染みそしてネギには豚の脂が加わって、絶妙な味加減になるのだ。
 それくらい、豚は旨い。もっとも、調理する人間の腕によっては酷い代物になるのもまた豚の宿命であるが。この店では果たして、どうであろうか。そんな好奇心から、僕は豚の丼を注文することに決めていた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
 そんな店員の声に我に返る。決めた注文すべき品を口にしようと店員の方を向き、口を開きかけた。が、言葉は出なかった。驚きの方が先に走った。
 目の前には、牛丼屋の制服を着た下田征子が立っていた。つい先程、と言っても数時間が経過してはいるが、今日の昼に彼女の事務所であったばかりのその人が、何故か牛丼屋の店員として立っている。
 どうなってんだ?
 僕は目をこすって、もう一度彼女の顔を確認した。髪は帽子に隠れてはいるが、ちょっとつり目の知的美人なその顔立ちは、間違いなく下田征子そのものだった。
 彼女の方も、唖然としている。そのこと自体が、本人であることの証明にもなっている。昼間事務所で変な依頼をしてきた人物と、まさかその日のうちにこんなところで遭遇するとは思っていなかっただろう。自分だって思っていなかった。
「あの、下田征子さん、ですよね・・・?」
 僕は念のために名前を確認する。彼女は目を逸らした。答えたくない、と言う心理が手に取るようにわかった。だが、残念ながらその挙動自体が既に答えになってしまっている。
「お仕事・・・ですか?」
 話を繋げるためと、念のための確認のために訊いてみる。もしかしたら、家族がやってる店でその手伝いをしているだけなのかもしれない。
「・・・仕事です。ですから、ご注文をお願いします。」
「姉。」
 豚と言うつもりで、つい、そんな言葉を口走ってしまっていた。流石に今の発言はまずい。いろんな意味で。すぐにそれに気づいたが、その時にはもう言葉は相手の耳に届いてしまっていた。
 彼女の顔が紅潮していくのがわかる。
「そ・・・そのような商品は、当店にはございません。」
 何とか怒りを抑えた、という感じで答えてくれた。僕も、これ以上の失言はするわけにはいかない。
「すみません。牛丼並とポテトサラダで。」
「ぎゅう、牛丼並一丁!」
 辛うじて声を張り上げ、そそくさと立ち去っていく下田さんの姿が印象的だった。
 
 
 
 時折店内の様子をちらりちらりとのぞき見し下田さんの姿を確認しながら、食事をしていた。自分はいったい何をやっているんだろうと、心の中で自問しながら。時間をかけて食べていた牛丼がようやく無くなりかけようとする頃、一人の女性客が店内に入ってきた。
「いらっしゃいませー。あっ。」
 入ってきた客に向かって威勢良くかけ声をあげる下田さんが、何かに気づいたようだった。
「ちわ。元気でやってるみたいね。」
「うん、まあ、仕事だからね。」
「時間通りにあがれそう?」
「うん。お客も少ないし。」
 そう言って下田さんは、ちらりとだけ僕の方を見た。
「そう。じゃあ、軽く食事をいただいておきましょうか。」
 そう言って女性客は注文を出した。戻ってくる道すがら、僕は下田さんに声をかけてみた。
「お知り合いですか?」
「あなた以上には。」
 ちょっときつい返答が返ってきた。少し凹んだ。ふと顔を見上げると、先程の女性客が今の様子を見ていたらしく、ふふん、と言った様子で微笑んでいた。
 
 下田さんが、女性客の注文した品を持ってくる。カウンターに置くタイミングで、女性客が話しかけていた。
「あの男の子、誰?」
「・・・。」
 下田さんがじろりと僕の方を見る。僕は慌てて作り笑いをした。
「知ってるんでしょ?」
「・・・あれが、例の男よ。」
「メールにあった? あー。こんなとこにまで来てんだ。」
「いや、ここに来たのはどうも偶然っぽいんだけど・・・。」
「ふーん。」
「ま、後で話すわ。もう少しであがれるから。」
 そう言って下田さんは店の奥に戻っていった。僕は自然と、その姿を見送っていた。そして視線を戻し、ふと気づくと、隣には先程まで下田さんと話をしていた女性客が座っていた。
「隣、いいでしょ?」
「え? ええ、そりゃまあ、空いてますから。」
「私、奥倉有香。あなたは?」
「織池英哉です。」
「ねえ。征子のどこが気に入ったの?」
「え? 気に入った、と言うと。」
「征子に『お姉ちゃんになってー』って言ったそうじゃない?」
 そんな言い方はしていない。内容としては間違ってはいないが。
「仮身戸籍の制度を使って姉弟関係を設定して欲しい、って依頼をしたんです。ただ、姉になってくれる人がその時まだ決まって無くて・・・咄嗟に。」
「ふーん。誰でも良かったの?」
「いや、そういうわけでは・・・」
 ない。はずだ。
「ね。英哉君は、歳いくつ?」
「25です。もうすぐ26になります。」
「わ。じゃあ、征子と一こしか違わないね。よく年上ってわかったね? もしかして訊いたの?」
 言われてみればその通りだ。なんだか当たり前のように下田さんのことを年上だと決めてかかって話をしていた。すごい資格を持ってることから大人びた雰囲気を感じて勝手に年上と決めてかかっていたが、考えてみれば確認したわけでも無し、そんな保証はどこにもなかったのだ。下手したら年下だった可能性もあったのだ。
 実は僕は、ちょっと失礼なことをしたのだろうか?
「いえ。一級主任戸籍設計監理士とか持ってるくらいだし、自分より大人びたイメージがあって、それで・・・。」
「大人びた? 征子が。へー。」
 くすくす、と奥倉さんは笑った。
「あたしと征子は10年来のつきあいなんだけど。あの子が大人びてる、なんてイメージはこれっぽっちもないなあ。あ、確かにアタマはいいんだけどね。」
「そうなんですか?」
「むしろ征子が妹みたいに思えることすらあるのよねー。だから、あなたの話聞いたときには、笑っちゃった。」
「姉っぽくない、ですか?」
「うーん。まああたしから見て、だから、あなたから見てどう思えるのかはわかんないけどね。」
 そうなのか。しかし、今更ながら改めて自分は下田さんのことを何も知らないのだと思い知らされた。つくづく、順序を間違えたと思う。
 
 他の客に呼ばれて、下田さんが奥から出てきた。僕の隣に奥倉さんが座っているのを見て、一瞬ぎょっとした表情をする。が、すぐに平静を取り戻して、精算をしている。そしてそれが終わると、こちらによってきて小声で言った。
「ちょっと。何やってるの!?」
「征子の弟くんとお話ししてるのー。」
 弟くん。その言葉に、ちょっとだけ嬉しくなった。
「な。なに馬鹿な事言ってるの! そんなんじゃないわよ!」
「えー。違うのー?」
「違います。」
 奥倉さんはそれ以上なにも言わない。ただ、にやついているだけだ。
「後できちんと説明します。変な方向に話持って行かないでよ?」
 そう言って下田さんは、奥に戻っていった。
「否定されちゃったねー。」
 奥倉さんがまた僕に話しかけてくる。
「まあ、昼間も既に拒否られてますから。」
「ふーん。それでもめげないんだねえ。」
「え?何が。」
「だって。わざわざバイト先にまでやってきて自己アピールしてるんでしょ?」
「いや、ここに来たのは、ほんと偶然で。まさかこんなところでバイトしてるなんて思わなかったし。と言うか。」
 一つ、疑問があった。
「下田さん、何でこんなとこでバイトしてんですか? 独立開業してる身でしょ?」
「ん? そりゃ、お金無いからでしょ。」
「だから、なんで。」
「お客が来ないから。」
 単純な理由だった。
「もしかしたら、あなたが初めてのお客さんだったのかもねー。それなのに、依頼内容が『お姉ちゃんになってー』で。凹んだんじゃないかなー。」
「いやだから、その言い方はちょっと。」
 そう言いつつ僕は、一昨日のことを思い出していた。階上から見た、下田さんの姿。嬉しそうに「よしっ」と言っていたあの姿は、初めて顧客が取れた喜び故のものだったのだろうか。
 だとしたら、確かに少し申し訳ない気もする。第1号の依頼がこんなしょうもない依頼だったとしたら、確かに機嫌も悪くなるかもしれない。
 でも。あのときは僕だって、真面目に依頼してるつもりだったのだ。ただ、手順を少し間違えただけで。
「僕だって、真剣なんですよ。」
 だから、ちょっと反抗してみた。
「おっ。」
 奥倉さんはちょっと驚いたようだった。
「じゃあ、それは愛?」
「え?」
 愛。何でいきなりそんな言葉が出てくるんだ。
「だって、征子に真剣にお姉ちゃんになって欲しいんでしょ。それって姉弟愛って事じゃないの?」
「あ・・・。そうか。」
 言われてみて気づく。正直、そこまで深くは考えていなかったということに。
「それとも恋愛?」
「いや、それは・・・違います。」
「じゃあ、姉弟愛なのかな?」
「それも・・・。」
 今は、そうですとはっきり肯定できる心境になかった。己の浅はかさにあっさりと気づかされてしまう。確かに自分が、姉を欲しているのは事実だ。だけどそれが姉弟愛を欲している故かと問われると、そこまで大袈裟な物なのかと考え込んでしまう。否とも応とも言えない状態だ。
 と言うか、そもそも姉弟愛って何だ?
「悩ませちゃったみたいだね。」
 奥倉さんがちょっと苦笑しながら言ってくる。僕は無言でそれに応えた。
「ま、私はあなたのこと、そんな邪険にしてるつもりもいじめてるつもりもないから。・・・征子はどうだか知らないけど、私はね。だからそんな真剣に悩まれちゃうと困っちゃうな。」
「でも・・・。大事なことですよね。」
「まあ、仮とはいえ戸籍を作ろうという話になってるんでしょ。要するに、単純に恋人として付き合うだけじゃなく結婚して籍を入れるかどうかっていう、そういうレベルの話になっちゃうわけだからね。」
「・・・。」
 確かに。実身・仮身の双方では、一応実身が継承元であり変動制が少ないということもあって、世間では実身戸籍の方が上位に見られがちであり、比して仮身戸籍はお手軽な存在に見られがちである。実際僕も今し方までそうだった。ただ、そもそものこの制度の導入過程として、古い伝統的な家族観を守りたい人のために実身戸籍の制度を残したのに対し、新しい価値観・家族観を持った人のために仮身戸籍という制度が導入され、そして実質的に法運用に用いられるのは仮身戸籍の方であることを考えれば、両者の間にそんなに優劣は存在しないのだ。例えば別姓を選択したい夫婦が、旧来通り同姓での登録を義務づけられる実身戸籍による婚姻よりも別姓での婚姻が可能な仮身戸籍上のみでの婚姻を選んだとしても、二人の間の夫婦愛とか結婚に対する真剣さが変わるかといったら、そんなことはないだろう。
 公制度の認証の元、家族関係を締結する。その重みに、実身も仮身も関係ないのだ。そして僕は、そこまでの重みを正直考えていなかった。
「・・・。」
「黙っちゃったかー。困ったな。そこまで真剣に悩ませるつもりはなかったんだけど。」
「あ、いえ。済みません。」
「君が謝る事じゃないよ。でも、そんなに真剣に悩むくらいなら・・・そうだな、私が相談に乗ってもいいよ?」
「相談?」
「まあ、一人で考えるよりも、人と話ながらの方が考えが整理しやすいこともあるでしょ。ま、人にも依るんだろうけど。」
「そうですね・・・。」
「じゃあ。今日はちょっと先約があるし、相談に乗って欲しいときは連絡してね。連絡先交換しようか。」
「は、はい。」
 そして僕らは、メールアドレスを交換した。
「うん。さて、ちょうど先約の方もそろそろ時間みたいですよ。」
 そう言った奥倉さんの目線の先には、店の制服から私服に着替えた下田さんの姿があった。
「お待たせ。」
「待ったよぉ。待ってる間に、征子の弟君のメアド、ゲットしちゃった。」
「お、弟じゃないってば!」
「うふふ。それはどうかなー。」
 奥倉さんは、自分が食べた分の支払いを済ませながら、下田さんとそんな会話をしていた。そして、去り際にこっちを向いて手を振ってくれた。
「じゃあね、弟君。悩み事があったら遠慮無くお姉さんに電話するんだぞ。」
「ちょっと、有香ったら。」
「あ、そうか。今の言い方じゃ、征子に遠慮無く電話しなさいって意味にも取れちゃうよねー。」
「だから、そうじゃなくて・・・。」
 きっと二人はとっても仲良しなんだろう。そんな感想を抱きながら、僕は二人を見送った。
 
 
 
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