王子とオタク
むかしむかし、と言っても一ヶ月とか一週間とかいうレベルの昔ですが。あるところに、王子とオタクがおりました。
王子様はとある電気通信系財閥の御曹司でした。眉目秀麗な身長172Cm、慶應義塾大学をかなり優秀な成績で卒業しています。スポーツは何でも一通りこなしますが、特に好きなのはテニスと登山。もちろん礼儀もわきまえていますし、料理も出来ます。
会社を支えるエースであり、かつ次期当主。しかし、それを鼻にかけることもありません。当然、男女問わず人望も厚いです。女性社員の間では、秘か公然を問わず狙っている人がたくさんいました。
一方のオタクは、その会社の1社員。見た目はいわゆる秋葉原標準。国立大の工学部を出て、技術力を期待されて入社したのですが、それ以上のことは期待されていません。能力は決して低くないのですが、内向的で公私を問わず自分の趣味の世界に没頭しているような人なため、極度に仕事を選ぶ傾向がありました。
毎年夏冬、盆と暮れの頃の週末に、必ず休みを取ります。「かつては偽壁まで行ったことがあるが今では買い専だ」というようなことをぼそぼそとしゃべるのですが、周りには何のことだかさっぱりわかりません。
ある日のこと。王子の主導で進められてきた、社運を賭けた一大プロジェクトが、危機的状況に陥りました。企画の根幹をなす商業モデル、それを動かすための電算システムが、他社の特許に抵触することが判明したのです。
本来こういうものは法務部がきちんとチェックするはずなのですが、どういうわけか見逃されてしまったのです。「王子の出した企画なのだからそういう事があるはずがない、という慢心があった」、と後にある法務部員は語りました。
王子は焦りました。今更企画を取り消すことなどできない、そういうところまで来てしまっていたからです。問題の部分を手直ししてプロジェクトを進めるしかありません。しかし、そもそもが各方面からあーでもないこーでもないと散々議論と苦情を積み重ねた結果生み出された結果、設計されたシステムです。安易に修正すれば、必ずどこかで不具合が出てしまいます。
王子もスタッフも、全員頭を抱え込んでしまいました。会議室で、全員へばってしまっています。そこへ、オタクが弁当袋を抱えてやってきました。そのチームのメンバーではありませんでしたが、会社の一大事に協力しろとの上司の命令で、スタッフの弁当の買い出しにやらされていたのです。
弁当袋を置いて帰ろうとするオタクを、王子が呼び止めました。
「君。もしよかったら、君からも何か意見を聞かせてくれないか? この際、何でも良いんだ。」
そういって、オタクを座らせ、資料を手渡しました。オタクはざっと資料に目を通し、呟きました。
「・・・愚かな。」
「え?」
「いえ、なんでもありません。それより、この資料を全部持って帰っても良いですか?」
「何をするつもりだ。」
「回答までに一晩ください。そんな時間は取れないということでしたら、この資料はお返しします。」
「む。わかった。」
王子はオタクに資料を預け、その日は一端解散としました。
翌朝。オタクが王子のところにやってきました。徹夜で再設計を行い、そのシステム設計書を持参してきたのです。
「システム構成をよりシンプルにし、どこの特許にも抵触しない形にしました。」
「ふむ。」
「要件も全て満たしています。将来的な拡張性に関しては、むしろ以前より柔軟に対応できるようになっています。」
「ふむ。」
「全体的に処理のパフォーマンスが若干落ちますが、それはハードのスペックを上げることでカバーするしかありません。」
「ふむ。」
「しかし特許料を払うよりは、安上がりです。」
「うん。そうか。」
王子は少しだけ考えた後、言いました。
「わかった。これで検討してみる。ありがとう、徹夜だったんだろう?」
「入稿前の追い込みに比べたら、大したことはありません。」
「・・・ああ。そうかい。」
王子はそう言うしかありませんでした。
その後、オタクの作った設計書は会議で了承され、そのまま開発部門に回されました。開発部門は大炎上の末サービス開始2日前にシステムを作り直し、プロジェクトは辛うじて予定通りスタートすることが出来たのでした。
王子は窮地を脱することが出来ました。一時期はかなり不安がっていた社員達も、さすがは王子だとばかりに王子に惜しみない賞賛を送りました。
しかし王子は納得していませんでした。今回のこの成功は、王子の手に依るものではない。そんな思いがあったからです。
そこで王子は、父親を初めとする役員達に掛け合いました。今回のプロジェクトの成功はオタクの貢献が大きいこと。オタクの働きがなかったら会社に大きな損失を与えていたこと。オタクには能力があること。オタクは今それに見合った地位と仕事を与えられていないこと。オタクを評価し、昇進・昇給をさせて自分の配下につけて欲しいこと。
王子の熱弁に役員達は圧倒され、王子の進言を承諾しました。そして、オタクの上司を通じて、昇進の内示を出しました。
オタクは断りました。
地位や社内での名誉など、彼にとってはどうでも良かったのです。ただ、コミケ直後でお金がないから特別賞与を5万円だけ欲しいと言いました。
オタクは5万円を受け取りました。彼が受け取ったのはそれだけでした。
それを聞いた王子は、混乱しました。普通なら、昇進となれば誰でも飛びついて来るもの。それに自分のいる部署は、社内でもエリートコースといわれる部署です。将来的にさらに上にも行けますし、社員の間での評価も全然違うはずです。女にももてるし、悪いことなど何も無いはずなのに。
一体何故、それをあっさりと蹴ってしまうのか。
数週間後。王子は、休憩室で雑誌を読んでいるオタクを見かけました。オタクも王子に気づきました。
「ああ。その節はどうも。おかげでAIR Bluelay Diskboxが買えましたよ。」
「いや、礼を言うのはむしろこちらなんだが・・・。」
王子はオタクの言葉に戸惑いながら、オタクの隣に座りました。
「そう。それで、君に訊きたいことがあったんだ。君は・・・なぜ昇進を断ったんだ?」
「お気に障りましたか?」
「いや、そういうわけではないんだ。ただ、昇進といえば大喜びする人が多いのに、君はどうして喜ばないのかというのが、疑問なんだ。」
「・・・。」
オタクは少し考えた後、言いました。
「自分の幸せを押しつけてはいけない。幸せが同じものだとは決して思ってはいけない。ただ、一つだけ。幸せになりたいという言葉、それだけは本物だ。」
それは、別にオタクが考えた言葉ではありませんでした。ただその時、たまたまオタクが思い出しただけの言葉でした。敢えて言うならば、オタクが好きなギャルゲーの1台詞でしかありませんでした。
しかし。王子の心には、その台詞は響いたようでした。そうか、わかった。とだけ言って、王子はその場を立ち去りました。オタクも仕事に戻りました。
その後王子は順調にトップへの道を歩みました。自分の考えをごり押しせず、他人の考えや価値観をよく汲み取り、それを理解して全体への共有をはかることの出来る、良い指導者に育っていきました。王子の元で、会社はますますの発展をしていきました。
またオタクも、その会社の元でそれなりの働きをし、誰にも迷惑をかけない彼なりの幸せな人生を歩んでゆきました。
終わり。
広告: