荒野草途伸ルート >> 荒野草途伸独自小説 >>ゆめいろの森の中で>>3話
3.
 
 寮の食堂で僕は、早めの夕食をとろうとしていた。早めの時間にしたのは、この後出かけるつもりがある、それもあるが、それ以上に時間を誤ると食堂が異様に混んでしまうという事もあった。
 食堂に入ると、左手にカウンターがあり、厨房から突き出されるように皿が並べられている。その中から、カルビチャーハンを選び取ってトレイに乗せた。3列あるレジは、左の一つにだけ2人並んでいる。残り二つ、天井から「まるぱす/おんりぃ」という看板が吊されているレジには待ちはない。僕は中央のレジに行き、トレイをレジカウンターの上に置く。レジの人が、丈の低い位置にある覆いの下までトレイを進める。280円という金額が表示され、僕は学生証を取り出して、覆いの下にあるスキャナにかざした。ピッ、という音。
「はい、ありがとうございました。」
 レジの人の声に呼応して、僕はトレイを持ち上げた。目の前に並ぶ、大量の椅子と机。空きは多いとも、少ないとも言える状態。4人がけのテーブルに一人で座り黙々と食っている、そんな奴が多いからだ。かく言う自分も、数分後にはそうなっているだろう。利用効率が悪い、エントロピーの非常に高い状態です。そんなことをこの間の授業でやったな、そう思いながら、誰も利用していない席を探した。がたりという音がして、男が一人席を立つ。離れたのを見届けてから、彼が座っていたのとはす向かいの位置に腰掛けた。
「やれやれ・・・」
 大した仕事をしたわけでもないのに、そんな言葉が出てしまう。もっと遅い時間、もう少し混んでいる状態ならば、却って何の遠慮もなく誰かが食っている隣とか向かいに座れるのかもしれない。しかしごくたまに、座れなくなる程混んでいるときがあって、そういうときはトレイを持ったまま食堂の仲を流浪の民としてさまよわなければならなくなる。それはかなりいやだ。
 この食堂は、学寮の住人以外からは殆ど利用される事はない。そして、4人がけの席が150、計600人が収容できる広さがある。決して狭いわけではない。にもかかわらず、時として満席になるくらい混んでしまうのは、人という生き物が「決まった時間に飯を食う」という習性を刷り込まれてしまっているからだろう。
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「悲しい習性だよな・・・」
 天井を仰ぎながら、ついそんな事を呟いていた。実際のところ本気でそう思っているという自覚はないのだが、口に出てしまうという事は案外本気なのかもしれない。という事は僕は、人が悲しい生き物だという心理に支配されてしまっているのだろうか。だが、たかが飯ごときで人という生き物を否定するような考えは如何なものか。否、たかが飯と言うが、生命活動の基本は飯を食う事であるのだから、この行動の正当性を考える事は生命種そのものの価値を論じるに等しいものであり
「ねえ。それ、そんなに辛い?」
 声をかけられて、はっと我に返った。目の前にある食べかけのカルビチャーハンにはスプーンが突き刺さったままになっていた。そして横、声のした方を向くと、そこには古瀬智羽が立っていた。
「ずーっと、上向いちゃって。そんなに辛そうに見えないけど、実は大穴?」
 大穴の意味するところの詳細はよくわからなかった。が、要するに、あまりの辛さに食べかけでずっと天井の方を向いたりしていたと思われた、という事だろう。
「いや、決して辛いわけではない。ただ、ちょっと考え事をしていただけだから。」
「そう。何の考え事?」
 古瀬は、僕の隣にある椅子に手をかけながら訊いてきた。隙あらば隣に座って来かねないかのような素振りである。油断ならない。僕はその椅子の背もたれに、ごく自然に見えるように左手を添えた。こうすれば、簡単に椅子がひかれてしまう事もないだろう。
 古瀬はその左手の存在に気づいたようだった。ちらりと目をやってから、ふふんと笑顔を見せた。僕も笑顔で返した。
 数秒間の、笑顔と無言の応酬。無意味な緊張感が高まっていくのが、自分でわかる。それでも左手は動くことはない。そして古瀬は視線を僕の顔に戻し、少し屈むようにして、言った。
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「響助君、えっちな事考えてたんだ。」
「な・・・!」
 何でそうなる。そう叫びたかった。が、少ないとはいえ人の結構いるこの場所で、あまり大声は出せなかった。僕はぐっと気持ちを抑えて、出来るだけ平静を装って答えた。
「いくらなんでも、食事中にそういう類の事を考えるほど、僕は忙しい人間ではないぞ。」
 やはり平常心というわけにはいかず、あまり理にかなった返答は出来なかった。
「食事中でなかったら、しょっちゅうそういう事を考えてるわけだな。」
 古瀬は既に隣の椅子に座り込んでいた。僕の左手は、一矢報いる事すらかなわず、無抵抗に後ろに押しのけられていた。古瀬はどこかに向かって手を振っている。誰かを呼ぶつもりらしい。どういうつもりだ。この女、図々しく隣に座ってきたあげく、さらに仲間を呼ぶつもりか。
「もしや、僕のことを取り囲んで集団でいぢめるつもりか」
「は?」
 手を挙げたままの古瀬が口を開けたままで振り返る。どうやらはずれだったようだ。古瀬は挙げていた手を下ろし、こちら側に身を乗り出してきた。
「なに、いぢめてほしいの?」
「そんなわけあるか」
「じゃあ、何。何で突然さっきみたいな言葉が飛び出してくるかな?」
「常に古瀬が僕に何かするんじゃないかと不安なんだ。」
「あたし、なんにもしてないでしょぉ」
「してるだろ。さっきだって、その、えっちなこと考えてるとか・・・・」
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 最後の方は、口ごもってしまって殆ど言葉にならなかった。はっきり言えなかったことと、その言葉の意味自体が相まって、僕の中に恥ずかしさがこみ上げてきた。無意識のうちに、古瀬から目を逸らしてしまう。
「そうでも言わなきゃ、座らせてくれそうになかったからなんだけど」
「そう、でもないけど・・・」
「そう?」
「そうだよ。隣に座るくらいで、そんな。」
「隣はいいんだ。じゃあ」
 古瀬は、ほんの少しだけ考える仕草をして、言った。
「膝の上とかは?」
「・・・だからさ。何でわざわざ、そういう人を惑わすような事を言うわけ?」
「そういうわけじゃないよ。ほら、あとから3人来たら一人は椅子に座れないじゃない。だからね」
「で、そういう事してこっちが躊躇している間に、別の一人が貴重な食料をかすめ取ろうという魂胆か。」
「あ、それいいね」
 古瀬は本気っぽく驚いて見せた。僕は少々鬱になった。目の前には食べかけのカルビチャーハンがあった。僕は少しでも抵抗の意志を示すために、古瀬に背中を向けてチャーハンをがつがつと食べ始めた。下手に話をしていると、どんどん翻弄されてしまう。それに、時間が経てば冷めてしまう。さらに、古瀬が本気でこれを奪おうと考えていることもあり得る。だが、食べきってしまえば、奪われる事はない。普通は。
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 古瀬の目の前に誰かが座るのが、気配で感じ取られた。誰か知っている人物のような気がしたか、気のせいだと思いこむ事にした。意地を張って、気づかないふりをしていた。チャーハン残り4口、急げば40秒ほどか。食べ終わったら速攻で逃げよう。そう思って、一山をスプーンでかき込もうとした。二人が何か会話しているように聞こえたが、意図的にそれを聞き流していた。そのうち声がしなくなる。会話がとぎれたのか、そう思いつつも、なおも無関心を装い続けていた。
「響助君ったらえっちな事ばっかり考えてるのよ、毬音。」
「ぶっ?! えほっ、げほげほっ」
 思わず僕は口の中のものを吹き出してしまった。呼吸の急激な変化に、気管支が痙攣を起こしている。
「ぜーっ、ぜーっ、ぜーっ、ふーっ。」
 ひとしきり深呼吸を終え、呼吸が落ち着いたところで、ゆっくりと頭を回して古瀬の向かいに座っている人物を見る。見慣れた、落ち着いた笑顔が見えた。それは紛れもなく、野口毬音その人だった。
「もう大丈夫?」
 毬音は落ち着き払った声で、そう訊いてきた。それはきっと本心、そう思えた。その声を聞いただけで、僕の中に平常心が戻ってきた。
「ああ、僕はもう大丈夫。」
 手近にあったコップをとって、中の水を一気に飲み干す。多少胃に悪そうだが、さしあたり気分を落ち着ける事の方が先決と判断した。実際、それで冷静な思考が出来るまでに回復できた。訊くべき疑問も絞られる。
「ところで、何故あなたがここに?」
「智羽に呼ばれたから。」
「そうなんだ」
 そうかそうかと口には出さず納得する。
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「古瀬とは、知り合い?」
「うん。同じ学科だし。」
「え?」
 僕は一瞬戸惑った。毬音が、僕と同じ学科? 疑問が脳を駆けめぐって記憶の底にまで突き抜け、そして僕は一つの事実を思い出していた。ああ、そういえば、古瀬は自分らと学科違ったんだっけな、と。
 同じ文理学部ではあるが、僕は総合自然科学科、古瀬は認知情報科学科に所属していた。が、古瀬とは頻繁に同じ授業で顔を合わせるために、まるで同じ学科の同級生であるかのような錯覚をしていた。それは古瀬が無闇に自分の所属する学科以外の授業を取りたがり、他学科学生の受講を積極的に受け入れている総合自然の授業によく出没する、その為だった。1年生の頃からずっとこうだったため、今では何の抵抗も違和感もなく総合自然の一員として認識され、イベントや特別授業などがあって名簿が作成されると、必ず正規の学科メンバーに加えて、彼女の名前も載せられていた。
 だから僕は、たった今まで古瀬が自分と同じ学科なんだと勘違いしていた。
「あたし、ほんとは認知情報だよ?」
「いや、わかってる、わかってる。当然わかってるからな?」
 少しでも古瀬に隙を見せるのが嫌で、僕は必死に、今思い出したばかりの情報をあたかも忘れようのない常識が如く振る舞った。
「うそだ。響助君、あたしのこと誤解してた。ありのままのあたしから目を背けてた。」
 古瀬は意図的なのか何なのか、なかなか信用しようとはしなかった。視線の片隅に、この様子を微笑ましげに眺めている毬音の姿があった。僕は救いを求めるように、彼女に視線を流した。
「そうね・・・とりあえず、結論として。私と智羽は認知情報で、井塚君は総合自然。これは常識。だから今後忘れないこと。ということで、手を打たない?」
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 手打ちとかそういう問題とは違う気もしたが、あまり細かいことにこだわるつもりはなかった。
「僕はそれでOKです」
「・・・・。」
 古瀬は、何も答えなかった。
「智羽?」
 毬音は促すように、古瀬に問いかけた。
「う、ううん、あたしもそれでOK、なんだけど・・・」
 古瀬は、僕と野口毬寧の顔を交互に見て、言った。
「あなた達、お知り合い?」
「はい、お知り合いですよ。」
「ああ、そうですか・・・。」
 何のためらいもない、さも当然であるかのような回答。そのまま微笑んでいる毬音に対し、古瀬は次に出すべき言葉を迷っているようだった。その声は聞こえない。何を言えばいいのかわからないのか、言いたいことがあるけど言うべきかどうか悩んでいるのか。それは僕にはわからなかった。
 そして何かが、意識の中に流れ込んできた。それが何であるか、すぐには認識できなかった。頭の中で反芻するうちに、それは自分の中で言葉へと変換されていった。
『二人は、どういう関係?』
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 え、と僕は小さく声をあげて、古瀬の方を見た。それが古瀬の言葉であるかのように思えたからだ。ただ耳から聞こえたという感じではなく。別のところから来た意志が、自分の中で言葉に変換されたような。少し妙な印象があった。そして実際、古瀬が僕か野口毬寧に何かを問いかけた様子はない。まだ何かを迷っているような表情だった。
 じゃあ何なんだろう。表層意識にはないけれど、自分では古瀬の一挙一動が気がかりで、思い詰めて、勝手に自分で結論出して、そしてそれを古瀬の言葉としてすり替えてしまったんだろうか。
 だとしたら少しおかしい。疲れてるかもしれない。思い当たる節はいくらでもあるし。野口毬音には悪いが、この話が終わったらさっさと退散して二時間くらい寝ることにしょう。そこまで予定を決めたところで、古瀬が口を開いた。
「うーん、お二人はどういう関係かな?」
 再び僕は、え、と声をあげて、古瀬の方を見た。さっき感じた、自分の思いこみの言葉と同じだ。今度は間違いなく、本物の言葉として。ということは、何だろう。もしかして、さっきのは思いこみではなかったということだろうか。全ての動物に備わっていると言われつつも未だ解明されていない危機探知能力、第六感というやつだろうか。
 そうすると今の古瀬の言葉は、僕にとって非常に危険なものだということになる。いや実際、回答如何では、僕の立場は非常に危ういものになるかもしれない。古瀬が実は野口毬音に惚れ込んでいて、「毬音姉様はあなたみたいなヘタレなんかに渡さないわ!」とか言い出してこの食堂が凄まじいまでの修羅場に変貌してしまうかもしれないのだ。そしてこの食堂には僕の弁護をしてくれそうな人間はおそらくいない。否、いないならともかく、紺田あたりがどこからともなく登場して、訳のわからん弁護を始め出すかもしれない。そうなったらもう目も当てられない。
 野口毬音には悪いが、話が終わる前に逃げよう。そう予定を変更し、僕は席を立った。
「あっ、ちょっとどこ行くの!」
「ごめん、ちょっと二時間くらい寝てくる。」
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 抗議の声を上げる古瀬は無視し、野口毬音にのみ、すまなそうな顔をして弁解の言葉を述べた。
「あたしの質問、回答まだなんだけど。もしかしてそれから逃げる気?!」
 そうです。
「そうなの? そうなのね! 毬音、あんなヘタレやめときなよ!」
 やっぱりこいつ、僕のことをヘタレと思ってたんだなと思いつつ、でも彼女の前でそんなこと言って欲しくないなという考えがよぎり、そして、あれ古瀬はいったい何を言っているんだと気づき、立ち止まり、振り返った。
「ヘタレじゃない。お友達。」
 そこには、真剣な表情で友を諭す、野口毬音の姿があった。
「ヘタレと友達は相反しないと思うんだけど・・・そう、友達なのね」
 なんだかぐったりした表情で、古瀬は腕をテーブルの上に投げ出し、その中に顔を埋めてしまった。
「あー、なんか疲れた・・・。響助君、何か飲み物買ってきて。」
「自分で行けよ」
「あたし疲れてるの。響祐君立ってるじゃない。ついでに行ってきてよ」
「僕だって疲れてるんだ、さっき帰って二時間寝るつもりだと言っただろう。」
「そういう事言うなら今夜は寝かせない。二時間寝て夜眠れないのと、一晩ぐっすり寝るのと、どっちがいい?」
 とんでもないことを言い出す。僕は困って、野口毬音の方をみた。
「しょうがない。私も行くわ。」
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 そう言って野口毬音は立ち上がった。「も」ということは、結局僕も行かなければならないということらしい。
「それでは問題解決にならないと思う」
「そうかしら? 一人でパシらされるという汚名は免れると思うけど。」
「でも古瀬の躾にならないぞ」
「そうね。でも、友達ですから。」
 口調も、表情も軟らかかった。が、何となく有無を言わせぬ意志が、そこには込められているように思えた。そして野口毬音は僕の手を取り、付け加えた。
「あなたも。」
 その行為に、心臓は大きく鼓動した。そして僕は必死に、その感情を全否定する方向に、思考を導いていた。違うだろ、そうじゃないだろ。友達だって言ったんだ。そう、二人は友達。いや、3人で友達という意味かな?
 言い聞かせているうちに、心臓は収まっていた。感情制御、成功。そしてその間に、二人はカウンターに向けて歩き出していた。改めて、隣を歩いている人を見る。そう言えば、日中にこうして二人でいるのは初めてだったかな。そう思うと、さっき押さえたばかりの感情がまた起き出しそうになった。それを振り払うように、半ば反射的に、僕は話しかけていた。
「あのさ、野口・・・さん」
「呼び捨てでいいのよ、響助くんっ」
 なぜか両手を後ろに回した仕草で、野口はそう答えてきた。
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「あの、それ・・・誰かの真似?」
「うん、・・・いけなかったかしら?」
「いけないというより・・・微妙に違う。」
「そうなの・・・。慣れないことはするものじゃないわね」
 そう言って野口は、ふふと笑った。今までも見た顔だけど、それでも僕はそれをみて、野口との距離が縮まったような、そんな印象を受けた。
『ま、しゃあないか』
 僕は振り返って、古瀬の方をみた。古瀬はテーブルに突っ伏したままだった。
 
 
 
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