荒野草途伸ルート >> 荒野草途伸独自小説 >>紫春>>7話
7.
 
「・・・ねえ、愛瀬さんは?」
 そんな声が聞こえて、三閏は机に突っ伏していた顔を上げた。女子学生の三人組が理香のところにいた。新学期の始まり。初日の授業登録を兼ねたその日に、雪江は来ていなかった。
「今日のこれ、必修科目だよね? 来てないけど、どうしたの?」
「・・・んー。そうなのよねえ。」
「学内ネットから出来るのは仮登録だけで、本登録はちゃんと来ないとといけないんだよね?」
「おとついの遺伝学も来てなかったし。前期はちゃんといたのに。」
「なんかあったの?」
「んー・・・いや、んー。」
 答えあぐねる理香。その答えを待たず、女子学生の一人が続けた。
「いやね。なんかあったというか、ほら。前期試験の時のあれ。あれが原因なんじゃないかって、気になって。」
「ああ、あれね。」
「その。あたらしら別に主犯ってわけじゃないけど。でも放置してたのは事実だし、噂流すのに荷担したところもあるし。」
「だからその、気になって。」
「あー。でもそういう意味では、こいつも同罪って言うか、より重罪な気もするけどね。」
 そう言って理香は、鹿駈の耳を引っ張った。
「いててててて。何てことするんだこの野郎。」
「あたし男じゃないんだけど。」
「じゃあこのアマ。」
「修道女でも真珠取りでもありません。」
「あの。関君のことはどうでも良いの。愛瀬さんのことが心配なんだけど・・・。」
「どうでもいいですとっ?!」
「ああ。確かにそうね。」
「ふざけるな! 謝罪と賠償を要求する!」
 理香は騒ぎ出した鹿駈を放置し、三閏の肩をぽんぽんと叩いた。
「聞いてたでしょ。ねえ、どうなってるの?」
「・・・わからないんだ。」
「わからない? どういうことよそれ。あんた、彼氏でしょ?!」
「わ、そうなんだ。」
「あのときもいろいろ言われてたけど、結局そうなったんだぁ。」
 色めき立つ女子学生達。だがそれとは裏腹に、三閏の顔は沈んだままだった。
「そう言われても。しばらくそっとしておいて欲しいっていうだけで、何も話してくれないから・・・。」
「なに。結局ずっとそのまんまなの?」
「うん・・・。」
「え? なに? やっぱりなんかまずいことになってるの?」
「ああ、うん。というか、よくわかんないのよね、状況が。」
「喧嘩?」
「いや、喧嘩では・・・無い。」
「じゃあ、なんで? 登録にも来ないなんて、おかしいよ。」
「そうよねえ・・・。三閏、あんた、家には行ったの?」
「いや、それはまだ。そっとしておいて欲しいって言うのに、行くのは良くないかなと思って。」
「ん、まあ、間違いじゃない気がするけど・・・。でもこうなるとねえ。」
 理香はうーんと腕組みをした。
「・・・いつからだっけ?」
「先週・・・より少し前かな。その・・・雪江さんが検査の結果聞きに行った日。」
「あ、・・・そうなんだ。それは知らなかったわ。」
「あ、そう。」
「そうしたら・・・つまり、その検査の結果が良くなかったって事じゃない?」
「そういうことになるのかな。でも、何にも言わないから・・・。」
 三閏は目を落とし、うつむきながら続けた。
「・・・結果、わかったらすぐに知らせるって話だったのに。」
「そんだけショッキングな結果だったんじゃない?」
「うーん・・・。」
 そして暫く、二人は沈黙してしまった。黙って聞いていた女子学生三人組は、話について行くことも割り込むことも出来ず、ただその場に立ちつくしていた。そして、再び三閏が口を開く。
「・・・今日、行った方がいい?」
「そうね。まあその前に、今電話してみよう。今日来れるなら来た方がいいし。」
 そう言って理香は、携帯端末を取り出した。耳元からかすかに呼び出し音が漏れ聞こえる。やがて、理香が話し始める。
「ああ、雪江? ・・・うん、理香だけど。あのね、今日本登録日だけど。どうするの? ・・・うん、いけないというか、来ないと取り消しになっちゃうよね。まあ、来週でも何とかなるとは思うけど。だから、来れないならあたしから理由を・・・ん、来るの? そう、じゃ待ってる・・・え?」
 理香がふと顔を上げると、三閏が理香の席にまで身を乗り出して来ていた。うわっと声を上げる理香。それに対し三閏は、代われという仕草をした。
「ああ、大丈夫、えっと、さんぞーが代わって欲しいって言ってるから、代わるね。」
 そう言って理香は、携帯端末を三閏に渡した。
「あ、あの雪江さん。来るなら、迎えに行きますので! 待っててください!」
 そう言うと三閏はすぐに通話をOFFにし、理香に端末を投げてよこし、走って教室を出て行こうとした。
「あ、ちょっと! もう先生来ちゃうよ?!」
「適当に言い繕っといて!」
「オッケイ、まかせとけ!」
 鹿駈が親指を立てて返答する。三閏はぴたりと立ち止まり、振り返って言った。
「直貫、お願い。」
「ああ、わかってる。」
 直貫は読んでいた本から顔を上げることなく、そう答えた。三閏は走り去っていった。それを見送った後、鹿駈は悲しそうな顔で直貫に話しかけた。
「俺って、実は信用されてないのかな?」
「そういうことなんだろうな。」
 
 
 
 扉を叩く音が聞こえたのは、電話がかかってきてから15分ぐらい経ってからであった。雪江は体の重みを感じながら立ち上がり、戸口まで歩いていった。鍵をはずし、扉を開ける。息を荒くしている三閏がそこにはいた。
「はぁっ、はぁっ、迎えに来ました、はぁっ、はぁっ。」
「・・・走ってきたの?」
「いえ、いや、自転車。乗っていけば、歩かなくて済むかと思って。」
「そう。・・・ありがと。」
 そう言って雪江は一度奥に引っ込み、鞄を取って再び玄関にまで戻ってきた。
「・・・行こうか。」
「はい。」
 
 上り坂を、三閏は懸命に自転車をこいで上っていく。その後ろで雪江は、落ちないように三閏の背中に掴まっていた。何も話さず、ただ、ぎゅっと。三閏もまた、話しかけることはなかった。今の彼はそれどころではなかった。二人分の体重を坂の上まで持って行くのに必死であった。
 やがて自転車は平坦な道に出る。高速道路をまたぐ橋を渡り、住宅街を抜け、大学の構内に入っていく。構内の道を駆け抜けながら、三閏は雪江に話しかけた。
「検査の結果、悪かったんですか?」
「・・・・。」
 雪江は答えない。ここはちゃんと答えるべきだ、という考えが頭をよぎるが、しかしそれが言葉になることはない。出来ない。踏み出せない。代わりに、掴んでいた三閏の服をより強くぎゅっと握った。
「・・・ごめんなさい、詰問したらいけないですよね。」
 自転車は細くて狭い下り坂を抜け、池に架かった長い橋を走っていた。岸辺の林の向こうに高層ビルが見える。
「もうすぐ着きますよ。」
 三閏はそう言った。雪江だってもう何度も同じ道を通って通っているのだから、言われなくてもわかる。それなのにわざわざそんなことを言う三閏に、雪江は笑みをこぼさずにはいられなかった。
「・・・あ。」
「どうしたんです?」
「私、今、笑った。」
「ええ? そうなんですか? よく見えなかった。」
「なんだか久しぶりに笑った気がする。」
「そうですか。でもそれならそれは、きっとよかったんですよね。」
 植え込みがとぎれ、建物の入り口が見える。キッ、という音を立てて、自転車はそこに止まった。
「さ、行こう。早くしないと先生帰っちゃう。」
「・・・うん。」
 やっぱりこのまま黙っておくことは出来ない。話さなければ。雪江はそう思いながら、三閏について建物の中に入っていった。
 
 
 
 教室に入ると、もう学生達の姿はまばらだった。教官はまだ残っていて、その周りを理香達4人が取り囲んで何か話をしていた。
「あ、来た来た。」
「いまね、電子情報と遺伝子情報の相互交換の話聞いてたんだよ。」
「あ、それ最初から聞きたかったなあ。」
 そんな会話をしながら、雪江と三閏は教官の下に歩いていった。近くまで来た雪江が頭を下げる。
「済みませんでした。」
「いえ。それより、体調が悪いのなら無理しない方がいいですよ。事情があるのなら、登録は来週でも大丈夫ですから。」
「・・・はい。」
 教官は教卓にある端末をピッピッと操作し、本登録を完了させた。
「皆さんには授業内容の説明をしたんですが・・・。」
「あ。いえ、それは後で誰かに訊きます。」
「そうですか。他には何か。」
「いえ。私からは特に。」
「そうですか。では、今日は私はこれで失礼します。」
「あ、先生。さっきの話の続きはしてくださいますか?」
「ああ。じゃあそれを、来週の授業でしましょう。」
 そう言って教官は去っていった。後に残された6人は、暫く黙っていた。
「んーっ、さてどうしようか。」
 ちらりと雪江を見ながら、理香がそう言った。会話の糸口を掴もうとしているようだ。雪江はすぐには返答が見つからなかった。代わりにその隙をついて、鹿駈が発言する。
「俺は酒が飲みたい。」
「ハァ? 何ザケたこと言ってんのよ。今何時だと思ってんの。お前は昼間から酒飲んで寝てられる身分なのかっつーの。ボケた事言ってる暇があるならとっとと学食行って席確保してこいこのスットコドッコイ。」
「そう決まってるのなら最初からそう言えばいいじゃないか、うわああぁぁぁ!」
 あからさまにわかる嘘泣きをしながら、鹿駈は教室を飛び出していった。残った一同は、やれやれという顔をした。
「・・・じゃあ、俺たちも行くか。」
「うん。・・・雪江は、どうする? もし体調悪いのなら、このまま帰った方がいいと思うけど・・・。」
「ううん、体の方は大丈夫だから。それより・・・。」
 一度三閏の方をちらりと見てから、雪江は続けた。
「ちょっと、相談したいことがあるんだけど・・・。」
「ん? それは、あたしに?」
「うん・・・。」
「そっか。じゃあ、悪いけどあんた達は先に行ってて。」
「わかった。じゃあ行こうか。・・・そう心配そうな顔をするな、三閏。」
「うん・・・。」
 三閏達は教室を出て行った。それを見届けた後、理香と雪江は手近な席に腰掛けた。
「で、何の相談?」
「三閏君のこと・・・いえ、これは私のことね。」
「? なんのこっちゃ。」
「先月、検査を受けたのよ。受けるときは、術後の定期検診みたいなものだって聞いてたんだけど。」
「うん。」
「それで、この間その結果が出たの。」
「うんうん。」
「それが、どうもあまり良くない結果・・・ううん、死ぬとかそういうのじゃないの、ただ、私の受けた手術の結果としては、あまり良くないものが出て。」
「ふんふん。あなたが受けた手術って、体細胞を初期化して体全体を若返らせるとかいうのよね?」
「そう。でも、その若返ったはずの細胞の老化が、予想以上に早いみたいで。2,30年後にはもう、歳相応の姿に戻ってしまってしまうみたいなの。」
「そうなんだ。でもそれは、2,30年後の話でしょ?」
「それまでの間、老いは人並み以上に早く進行するのよ。今はあなた達と同じように見えても、10年後にはきっともう決定的な差がついてしまうようになる。そうなったら・・・。」
 雪江は言葉を詰まらせた。息を吸い込み、呼吸を整えてから、再び続けた。
「普通なら、年を経るに従って歳の差なんて気にならなくなる。でも私たちの場合、それが逆になってしまうのよ。三閏君はそれを、受け入れてくれるのかしら?」
「・・・うーん。」
 理香は腕組みをして暫く考え込んだ後、言った。
「ごめん。あたしにゃやっぱ、わかんないわ。」
「え?」
「だってそれは、完全に三閏が決めることだから。あたしがどうこう言って結果が変わるものでもないし、いい加減な予想で期待や絶望をさせるのも嫌だから。」
「・・・そう、よね。」
「ただ。」
 理香は机の上に手を置いた。
「どっちにしろ、早く言った方がいいとは思う。変な秘密を抱えたまま付き合っても結局うまくいかなくなる原因になるだけだし、それだったら言ってうまくいく道に賭けた方がいいでしょ。」
「そう・・・ね。」
「幸い今回の三閏は珍しく落ち着いてるし。パニクって変な暴走する心配なら、無いと思うわ。」
 理香は立ち上がり、窓辺にまで歩いていった。雪江もその後に付いていった。窓からは木々の向こうに中央食堂の建物、今三閏がいると思われる場所が見えた。
「・・・ま。今からじゃなくて、今夜あたりに二人きりで話した方がいいわよね。」
「そうね。うん、そうする。」
 雪江は頷き、理香は両手を頭にやってくるりと向きを変えた。
「ところで、一つ訊きたいんだけど。」
「ええ?」
「なんで、あたしに相談したの?」
「なんでって・・・。」
「だってほら。別にあたしでなくてもいいって言うか、もっと適任がいたような気がするからさ。あの連中の中だったら、直貫の方がしっかりしてるし。」
「あ、それは・・・。きっと、あなたが一番、私と歳が近いから。」
「ああ、そういうことか。・・・って、ちょい待ち!」
 理香は急速に振り返り、雪江に詰め寄った。
「あたしこれでもまだ、20代なんですけど。前半なんですけど。あなたとはトリプルスコアの差があるんですけど!」
「と、トリプルスコアって。ちょっと、あたし、そこまで行ってる訳じゃないわよ!」
「四捨五入すれば一緒よ!」
「どこをどう四捨五入したって3倍にはならないわよ!」
 睨み合う二人。そして、理香は返答をの代わりに、くすっと笑った。
「そう。その勢いで良いんじゃない?」
「え?」
「雪江が悪いことした訳じゃないんだもの。だったら、それくらいの勢いでさんぞーに迫れば良いんじゃない?こんな結果が出たけど、だからってあたしのこと捨てるんじゃないわよ、って。」
「大丈夫。いけるって。」
 理香は雪江の肩を叩き、歩くのを促した。
「とりあえず、学食行こっか。」
 
 
 
 その日の夜。雪江は、三閏の部屋にいた。
「待ってて。ご飯、炊いとくから。」
 そう言って三閏は炊飯器のある場所まで行き、米袋を持ち上げた。「進呈ナギライス」と書かれた袋から、ザザーと米が流れ落ちていく。その様子を雪江は、黙って見つめていた。
 やがて、米をとぎ終えた三閏が戻ってくる。
「で、話って何?」
「うん・・・。」
 雪江は促されるまま、検査の結果を話した。今すぐにではないが、老いが早く確実に進行していくこと。三閏との見かけの年齢がどんどん開いていくこと。三閏はただ、黙って聞いていた。雪江が一通り話し終わった後も、まだ黙っていた。
 時計の針の音が聞こえる。雪江は三閏の顔を見た。迷っている、というよりは、どう言葉をかけるべきか悩んでいる、といった印象だった。そんな三閏を見て、雪江は決意を固めた。膝を動かし、三閏の方にずいとすり寄った。
「三閏君。」
「は、はい。」
 三閏は驚いたように、顔を上げた。
「あなたがどんな答えをしようとしているか、私にはまだわからない。でも、私には欲しい答えがある。そうなって欲しいと思う願いがある。」
「・・・。」
「あなたとずっと、一緒にいたい。この先どんなに歳をとっても、ずっと、ずっと。見かけの歳が離れてしまって、到底カップルとは思われなくなっても。親子に間違われるようなことがあっても。人から後ろ指を指されるようなことがあっても、私たちは恋人同士ですと言えるようになりたい。この人が僕の恋人ですと、あなたに言って欲しい。ずっと私の側にいて欲しい。私を一番にして欲しい。私は・・・。」
 雪江はそこで、一呼吸置いた。そして、続けた。
「私は、あなたと別れるようなことにはなりたくない。」
 雪江は、三閏の顔をじっと見た。いつの間にか体がのめりだし、三閏と触れ合うほどに接近していた。三閏は頬を赤らめながら、雪江と目を逸らしたり合わせたりしていたが、やがて気がついたように言った。
「ごめんなさい。」
「え・・・?」
 一瞬、雪江はその言葉に衝撃を受けた。だが、次の三閏の言葉に、そのショックはすぐに消えて無くなった。
「その言葉は、僕が言うべきだったのに。」
「――三閏くんっ!」
 雪江は思わず抱きついた。通じた。思いは通じた。そんな確信と安堵が、雪江の行動を開放していた。抱く、揺さぶる、抱く。三閏は何も言わず、されるがままになっていた。
「あっ。」
 そんな三閏が、突如声を上げる。雪江は思わず手を離し、三閏の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
 三閏は何も言わない。ただ、恥ずかしげにしていることだけはわかる。手が、ズボンの上にある。ああ、そういうことか。そう雪江は思った。
 雪江は三閏から顔を離し、そのまま三閏の肩にもたれかかった。体が軽く跳ねる。三閏はまだ黙ったままだった。やれやれ困ったな、雪江はそう思った。どうしたらいいんだろう。自分としてはずっとこのまま寄り添い続けているのも悪くないが、三閏の方はそれは辛いものがあるかもしれない。多くの男はそこで自分から要求してきたりするものだが、どうも三閏はそういう性格ではないようだ。
 暫くそのまま、無言でいる。どくんどくんという三閏の心臓の音が、雪江にまで伝わってくる。それがうつったのか、雪江の心臓も高鳴りを始めたようだった。それと同時に、気持ちも高ぶってくる。心が共鳴する。暖かい感覚が、皮膚の上を駆けめぐっていく。今なら多分、いや間違いなく、自分と三閏は気持ちが一つになれる。そんな確信が、雪江の心を満たした。
「・・・ね。」
 雪江は三閏に話しかける。三閏は、わずかに顔を動かして雪江を見た。三閏は頷いた。置いていた手を、ふるえ気味に雪江の肩に移す。雪江がそれに応じて顔を上げると、それに自分の顔をそっと近づけた。唇と唇が触れ合い、二人は長いキスをした。
 そして、二人は初めて結ばれた。
 
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